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SM千夜一夜物語

kikuom.exblog.jp

変態雄犬キクオの妄想日記です。

第116夜 【「調教」とは何か】

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調教するというのは、一つには、主従関係をきちんと認識させることです。
たとえば、言葉遣いでは、「太っている女性が好きです」などとM男が言えば、女主はビンタします。
「太っている」と言うのではなく、「ふくよかな」という言葉に言い直させます。
「ごめんなさい」とM男が言えば、女主は再びビンタします。
「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」と言い直させるのです。
このように、たとえM男に主を心から敬う気持ちがあっても、それを表現できないことは懲罰に値します。
ですから、肉体的苦痛を与えて教え込むのです。
これが基本的な調教です。
主従関係をいかにはっきりさせるか、自分が奴隷であることを認識させ、
服従するということがどういうことなのかを教えこむと言っても良いでしょう。

「調教してください」と口では言っても、
実際には自分の好みのプレイをしてもらって満足したいというのでは、
ただのエゴマゾで、そんなM男は直ちにポイするか、
或いは、基本的な考え方から徹底的に教育し直す覚悟をしなくてはならないでしょう。

また、調教するというのは、限界を越えて成長させることでもあります。
鞭を打つことが好きなS女性と鞭打たれることが好きなM男性は理想的なパートナーとなりますが、
ここでも「調教」が必要です。
相手が耐えられないぐらいの強さ、数の鞭を与えて、
自分の欲望ではなく、主のために耐えることを教えるためです。
それはどれだけ耐えられるかという限界を調べて、その限界を越えさせることで可能となります。
「もう耐えられません」と言わせてから、
「分かったわ。じゃあ、あと十回ね」と泣き叫ぶM男に対して、笑いながら鞭を振るうのです。
それは虐めではなく、肉体・精神を鍛える教育です。

さらに、本人が好きなプレイでなくても、主を満足させるために必要であれば、
自ら肉体を差し出して、受け入れ態勢を整えさせることも必要です。
それが「服従する」ということの意味が何であるかを教え込む「調教」になります。
もちろん、肉体的に不可能なことはありますし、無駄な恐怖感を与えても意味がありません。
主が奴隷を大切に扱うために、慈愛的精神、寛大な措置ということも考えて欲しいと思います。
奴隷は好んで調教を受けようとしますが、
それでも不安な気持ちを持って臨んでいるということも理解してあげて下さい。

たとえば、アナル拡張においては、ゆっくり少しずつ楽しみながら行って下さい。
無理やりグイグイ押し込んだり、ディルドオやプラグを挿入してから激しく動かすのも、
酷い苦痛を与えるだけで、M男は不必要な恐怖感を持つようになるだけです。
もう二度とされたくないと思うかもしれません。
プレイの準備として、アナル周辺を時間をかけて揉みほぐし、
ワセリンをたっぷり塗り込み、滑りを良くしてから、
細いモノから太いモノへ、ゆっくり時間をかけて挿入するようにして下さい。
抽出運動もゆっくり行うようにして下さい。
それはM男を楽しませるためではありません。
M男がそのプレイを嫌いにならないための措置だと考えるようにしましょう。
そうすれば、M男にとって、それがたとえ好きなプレイでなくても、
主を楽しませるためにアナルを提供するという喜び、
すなわち、主の喜びが奴隷の喜びであることに繋がります。
そして、好きなプレイに変わっていくという可能性も出てくるでしょう。

主従関係におけるプレイを、各々が立場・役割として行うのは当然ですが、
「調教」を通して、お互いに充実した喜びの時間を過ごすように進めていくことも、
主の重要な役割であると考えていただければ幸いです。

by M-kikuo | 2015-10-11 08:44 | 責めと調教 | Trackback | Comments(0)
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